日々徒然~何気ない出来事に心を寄せて~(351号)

人を〈見る〉ということ

音更町立音更小学校 教諭 中山  陸

 広報誌「十勝教育研究」の「日々徒然」への寄稿という貴重な機会を頂きました。そこで、現任校に着任してからの4年半のことを振り返りながら、つづらせていただきます。

 参観日に向けた授業づくりに悩んでいたあるとき、「いつも授業の手応えはないし、思い切って他の先生の授業をそっくりまねしてみよう」と思い立ち、毎日のように、隣の学級や他の学年の先生の授業を参観していました。しかし、自分でまねて実践してみるものの、全くうまくいきません。それから「自分の持ち味って何だろう?」と自問自答する日々が続きました。迷走しながら実践を続け、ついに参観日前日を迎えてしまいました。そんなとき、私の行動の意図に気付いてくださった先輩教諭から「参考にしてみてね」と板書の写真を頂きました。そこで、参観日当日の社会科の授業は、それにのっとって授業を進めてみることにしました。当日、無事に授業を終えた後、私の授業を参観した先輩教諭から「板書工夫することができたね!」と言葉を掛けていただいたとき、教職について初めて小さな自信をもつことができました。同じ職場のすてきな先輩教諭のおかげで自分の授業を見詰め直すことができ、よい経験になったと感じた瞬間でした。

 そのような経験から「なぜ、先輩教諭は他人を気に掛けられるのだろう?」「私は自分以外のことをどのくらい見ることができるだろう?」と考えるようになりました。当時の私は、子どもたちの様子や先生方の動きを「見える人には見える」程度に思っていました。

 しかし、ある先輩教諭からは「〈見る〉ためには、いろいろな〈かん〉が必要だ」と教わりました。子どもと接する仕事であるからこそ、この考え方の習得は必須だと考えています。分かる授業づくりはもちろんのこと、子どもや同僚との信頼関係の構築のためにも「いろいろな〈かん〉」を働かせ、自分の教職人生をより豊かに過ごしていきたいと思います。 そのためにも、まずは自分の時間づくりが必要です。仕事とプライベートの時間をバランスよく両方生みだすこと。このことを、いろいろな人を〈見て〉、自分のものにしていくことが今の目標です。


続けること

浦幌町立浦幌中学校 教諭 山村 悠人

 英語を教えていると、子どもから「動詞の現在形ってなんですか?」と聞かれることがあります。私は「普段から行っている『習慣』について伝える表現」と答えます。それに着想を得て、今回は私の「習慣」になっていることについてつづります。

 1つ目は、朝の散歩です。始めることにしたきっかけは両親で、実家に帰省した際、早朝の散歩に付いていく機会がありました。私は目的なくダラダラ歩くのは苦手なので、最初は自分にあまり向いていないと感じていました。しかし、回数を重ねることで体は慣れていき、自宅へ戻ってからも朝の散歩は続けられました。今となっては、5時半に起床し、音楽を聴いてコーヒーを飲みながら歩くのが毎日の楽しみです。生活リズムも整い、「今日一日何をしようかな」「何を頑張ろうかな」と考える時間にもなっています。

 2つ目は、よつ葉アリーナ十勝でのトレーニングです。「痩せたい!かっこよくなりたい!」という9割9分よこしまな理由だったのですが、ゴールが見えない分、意外と続いています。3階のトレーニング室には、下は高校生、上は車椅子に乗っているお年寄りの方までいて、それぞれが目標や目的のために頑張っている姿は本当にすてきで、私も努力しようと思えます。また、トレーニングは鍛えたい部位を組み合わせて鍛錬するので、自然と計画性も身に付きました。今では、やりきった自分を「今日もよく頑張った!」と心の中でたたえる瞬間のためにトレーニングに励んでいます。

 2つの習慣について紹介しましたが、習慣とは「継続していること」です。それぞれ、日々行っていることに変化はありませんが、継続することで得られたものがとても多く、単発的な活動では分からなかったことに気付いたり、できなかったことが少しずつ身に付いていったりと、着実に自分自身が成長していくことを実感しています。「習慣」は「大きな成果」になって返ってきます。 継続したことで、必ずしもよい成果が得られるわけではないと思いますが、変わらない情熱や理想像をもって継続することこそが、よりよく生きることだと信じています。

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